歩くの大好き!

 ヒアルロン酸が枯れるまで

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2007.07.25[水] 母島に行った

ちゃーす!

前を歩く女子高生のお尻がプリプリしていたので、むんずと鷲づかみにしてあげたら、「きゃー!チカン!」と言われ、見ず知らずの、しかも未成年に、見事、職業を言い当てられたボクですが、スカートの中には頭を入れて「暗いよ!暗いよ!」と怖がってみせる方が好きです!

(≧▽≦)/きゃは!言っちゃった!

そんなさりげない男らしさを垣間見せたボクですが、小笠原諸島の母島に行ってました。




オガサワラ…
東京の南南東約1000 kmの太平洋上にある30余の島々で、亜熱帯に属す、我が国日本の領土であります。
日本の領土でありながら、地図ではいつも、卒業アルバムの集合写真撮影の日に休んだ生徒のごとく、別枠に居るあの島です。
(業務連絡:以降、卒業アルバムの別枠の人に対しては「小笠原か?!」と突っ込むように!)

父島、母島、硫黄島、南鳥島以外の島は無人島です。
硫黄島には自衛隊、南鳥島には自衛隊、気象庁、海上保安庁の施設があり、関係者のみが常駐しているだけですが、細かく言うと某企業の社員も居るそうです。
年間を通じて暖かく、夏と冬の気温差は少ない。
「台風シーズン」というものはなく、年中来る。
梅雨前線はこの地の北に現れるため、北海道と同様に梅雨が無い。

さて、小笠原には空港がありません。(硫黄島には有るけど自衛隊の空港)
「おがさわら丸」というフェリー船で竹芝から行くしかありません。
25時間半をかけ、父島に到着。
母島へは、「ははじま丸」に乗り換え、2時間をかけてやっと辿り着くのです。

具体的には以下のとおりでした。
   AM10:00 東京発
翌日 AM11:30 父島着
   PM 1:30 父島発
   PM 3:40 母島着
…ということで、実に約30時間かかるのです。

沖縄より、ハワイよりも遠い東京都内です。

小笠原へ
これが「おがさわら丸」。 竹芝は小雨。

小笠原へ
グランドレベルから乗船。
切符と名前や住所を書いた紙を渡す。 切符の半券は下船時に渡すので、失くさないように持っておく必要がある。 切符を記念にしたい人はどうするんやろか?

小笠原へ
小笠原へ
ボクが乗った便には、林間学校かそれに類するイベントがあるみたいで、子供(なぜか男の子のみ)の集団がいて、それを見送るお母さんの集団がいた。
ボクが子供の頃には、お婆さんかと思われるような歳の離れたお母さんがいたけど、最近はどうなんやろか? 若いお母さんばっかりやったね。

小笠原へ
出港時間とともにビールで乾杯。

小笠原へ
多くの人は船室におとなしくしている。 ボクは部屋の中に居たくないので、ずっとデッキに居た。

小笠原へ
雨が降り、波が荒れて船が揺れた。 スナックの女性に聞くと、波は3mぐらいではないか?とのこと。
ひどいときはこんなものではない。

小笠原へ
翌日はいい天気。



小笠原の歴史(Wikipediaから抜粋)

●北硫黄島には先史時代のものとみられる遺跡がある。また、父島でも石器が発見されているが詳細な時代は不明。
●1543年 スペイン人によって母島が発見される?
●1593年 小笠原貞頼が発見したという説があるが、現在では否定されている。
●1670年 紀州の蜜柑船が母島に漂着し八丈島経由で伊豆下田に生還、島の存在が下田奉行所経由で幕府に報告された(現在ではこの報告例が最初の発見報告と考えられている)。
●1675年 江戸幕府が漂流民の報告をもとに調査船富国寿丸を派遣し島々の調査を行い「此島大日本之内也」という碑を設置する。当時は無人島(ブニンジマ)とよばれた。また調査結果は将軍はじめ幕府上層部に披露された。
●1727年 貞頼の子孫と称する小笠原貞任が貞頼の探検事実の確認と島の領有権を求めて幕府に訴え出る、小笠原島と呼ばれるのはこれ以降のことである。最終的に貞任の訴えは却下され探検の事実どころか先祖である貞頼の実在も否定された。
●19世紀になると欧米の捕鯨船が寄港するようになり、1827年にイギリスが領有を宣言。
●1830年 ラセニエル・セボレーら白人5人とハワイ人25人がハワイ・オアフ島から父島に入植し、初めての移住民となる。
●1847年 ジョン万次郎が米捕鯨船に乗って小笠原に来航。後年、今度は日本側官吏として小笠原にやってくることになる。
●1857年 ペリーが寄港してハワイからの移民を首長に任命した。
●1861年 幕府が小笠原の領有を宣言。それに先立ちアメリカから帰還したばかりの咸臨丸(艦長は小野友五郎)で小笠原に官吏を派遣し、測量を行う。のち八丈島から移民を送った。
●1876年(明治9年) 日本の領有が確定。それまでの住人は日本に帰化した。
●第二次世界大戦時に硫黄島は激戦地となり、住民は本土へ疎開。戦後、サンフランシスコ講和条約によりアメリカ海軍の統治下に置かれ、欧米系の旧島民135名のみに帰島が許される。
●1968年(昭和43年)4月 日米間で小笠原復帰協定が締結された。
●1968年6月26日 日本に返還された。
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プロフィール

清明

  • Author:清明
  • プロの歩行者。
    ハイハイをやめてから現在に至るまで歩きっぱなし。
    「本業は何ですか?」と聞かれることが多い。
    答えは時期と気分で異なる。
    貧乏人でもできる“遊んで暮らす”ことを実践中。

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